真四角に閉じ込めてきれいにラッピングして水平や垂直を意識した写真は記録的な雰囲気が強くなり、20年後も30年後もそのまま在るような雰囲気があって、最近はそういうのばかり撮っていました。
でも、ざらっとした感じの少し斜めに写った不安を感じさせるものも好きです。
読んで楽しいのは娯楽小説。読んで不安になるものは純文学という言葉をどこかで見た気がします。
唐突ですが、この前自転車の上で、わたしは今結婚していますが、自分か奥さんどちらかが必ず先に死ぬことになると思うのですが(幸か不幸か事故などに巻き込まれて同時に死なない限り)残された片方はどんな生活を送るのかなと想像していました。
これはもしも起こる最悪の場合でもなんでもなく、必ず起こる、ほぼ100%起こる未来です。
おそらくこのことについてわたしと奥さんが食卓で話すことは近い未来では、しないでしょう。
でも心のどこかでこの必ず起こる未来を受け入れる準備を少しずつやらなきゃいけない気がしています。
純文学の必要性とは、こういうことに通じていると思います。
おわり。