作品に哲学は必要か?

 昨日昔からの知り合いの脚本・演出家の、まあ、元劇団ZTONの河瀬くんですけど、大阪で芝居についてちょっとお酒を飲みながらお話をしていまして。

 わたしは現在演劇をつくってはいません。どこにも属していません。専ら観るだけです。だからはっきり言って全く忖度なく喋ることができます。わたしは人については悪くいうことはないようにしようと思っていますが、作品の感想については例え酷い言葉を使おうと嘘だけはつかないように心がけています。

 今日はわたしが演劇作品が良かったどうか、どんなことで決めているのか少しお話ししてみます。

 まず、映像化された舞台でない限り、記憶を辿ってその演劇作品をもう一度味わって感想を言葉にしようとします。

 この時一番最初に思い出すのは「余韻」です。観終わった後のまだ言葉にならない、整理できていない心の感じ。この余韻が全てだと思っています。余韻が好ましいものであればわたしにとっては良い作品ですし、逆に余韻が後味悪く感じるものであったり、余韻そのものがなかったりした作品はわたしにとっては悪い作品です。

 胸が熱くなってしばらく席から立ちたくないとか、わたしにとっては最高の余韻です。そんな作品に一年に1回でも出会えれば、それはもうとても幸福なことです。

 そのくらい揺さぶってくれる作品はやっぱり生き方に関わってくるものが多いと思います。生き方とはつまり哲学です。哲学がない、例えば物語を面白くみせる為のテクニックや仕掛けがメインの作品などには心が動くことはありません。あー、そうひっくり返るんだ、なるほどーという感想です。

 わたしはいつだって揺さぶられたいので、作品に哲学は必要だと思います。

 今日の日常の一コマを添えて。