カメラを使い始めてまだ1年半くらい。この機械を思い通りに使いこなすことができたならばさぞ楽しいだろうと、でもなかなか思い通りにならない不確定要素があるからこう飽きずに写真を撮る行為が続いているのだろうとも思っている。
写真は人の記憶に密接に結びつく。記憶と写真の関係は、葡萄とワインの関係に似ていると思う。素晴らしいワインは葡萄そのものよりも葡萄らしさを感じることがある。変な話だが。曖昧な脳内の記憶が写真という物質となった時、記憶以上の記憶となったと感じる場合がある。本当に変な話だが。
例えばこの電気ストーブの写真。今もわたしの目の前にあるが、わたしの目が捉えている絵と写真の絵は違う。実物はもっと薄い感じだ。写真の絵は何か意味深だ。そして写真の絵の方が寒い室内を静かにほんのり暖かくしてくれている感じがするので、そのように撮った。実物が持つ様々な要素の中からわたしが残したい要素だけをなるべく残し、強調したい部分をほんの少し強めたら、こうなった。つまり凝縮させた。
ん。ならば表題は写真とワインではなくて、写真と濃縮ジュース。あ、濃縮ジュースの方がしっくりくる気がする。ワインと書いてしまったのはカッコつけたかったから?ジュースだ。ジュースがいい。