20年後等価理論

うちのベランダから撮った風景

 この写真は、嵐山へ写真を撮りにいこうと思い外の天気を見るためにベランダへ出たら小雨が降っていたので外出することをやめて、でも写真を撮る気分は高まっていたので部屋に戻ってカメラを取ってきてベランダから1枚だけ撮影したものです。

 僕に外出することを完全にやめさせるに足る、どんよりした雰囲気が写っていました。わたしに心の余裕があったならば左の屋根が写り込んでいない写真、写り込んでいるが少し被写体から離れている写真、もっと重なっている写真など撮ってどれを採用しようかちょっと悩む幸せな時間を持つことができたでしょう。

 わたしは最近日常のなんでもない風景をちゃんと撮影し残していこうと思っています。

 どうしてかというと、例えば20年後に写真を見返すとき、例えば嵐山の渡月橋を美しく撮った写真とちょっと散らかった生活感のあるうちの中を撮った写真、どちらに心が動かされるかというと、多分どちらにも同じくらい心が動く気がするのです。だから、ただ外の天気が悪いからだけではなく、20年後にこのベランダから撮った写真と外出して撮った写真の価値が等しくなってしまったので、わざわざ外出する価値はないと判断した、無意識に、と言えます。そして、これはすごい屁理屈が誕生した瞬間かもしれません。20年後等価理論。いろんな言い訳に使えそうだ。こわい。

 ただ、20年後にこの写真を見て『そういえば、外がどんよりした雰囲気で、嵐山に写真撮りにいくのやめたんだよなぁ』と昨日のことのように心の動きを思い出させてくれたら、それは素敵なことだと思います。