等価

 1月28日は誕生日でした。44歳です。

 特に変わったこともなく、今日も四角に取り憑かれた感じでした。

 四角の枠の中に収めることは、モノを等価に扱う道に通じるているような気がします。

 対象物の個性が残ったまま価値が揃う。優しい理想論の世界です。

1:1

 カメラで写真を撮るとき、縦横比を選んで撮ることができます。

 一般的な比率は一般的なL版プリント比率の横3縦2でしょうか。

 あと、4:3、16:9など。

 写真を撮るときファインダーを覗くと、3:2の枠の中や1:1の枠が現れていて、その中に写真になる可能性がある対象が切り取られています。

 不思議なことに3:2の枠と1:1の枠では同じものを見ていても受け取る感じが全く違います。面白いほど違います。

 カメラを構えていなくても真四角で切り取る構図を目が探し始めて、世界がちょっとだけ今までと違って見えます。

 

贅沢になった指

 今日も昨日に続き晩御飯(スーパーのお弁当)を買いに外に出ただけで、ずっとうちの中に引きこもっていた。

 午後から雨だったので、シャンプーの残りが少ないから買っておこうレベルの用事は全て明日以降に。

 この日は買ったけども全くやっていないゲームをやる日にした。実は先月Nintendo Switch 有機ELの本体とゼルダの伝説と女神転生を買っていた。でもそれぞれ1時間くらいずつやっただけで枕元にほっぽってあった。電源ボタンを押しても電源が入らず自然放電で充電も切れていた。

 そして本腰を入れてゼルダの伝説をやり始めた。でも、やっぱり1時間ほどでやめてしまった。理由はコントローラーボタンの小ささ。

 昔はそんなこと気にしていなかった。どうして、そんなことでゲームを続けることができないのか、ちょっと考えてみた。

 結論は、カメラのせい。

 僕は今PanasonicのフルサイズミラーレスS1とSIGMAのfp Lというカメラを使っている。カメラは写真や動画を撮る為の機械。写真が動画がキレイに撮ることができればいい。その性能が備わっていればいい。でもカメラメーカーさんはユーザーがカメラを触る、動かす楽しみをかなり研究されていて、シャッターを押す感触はもちろん、設定を変える為のボタンの配置、押し心地、レンズを回す感触、全てが気持ちいい。

 僕の指や手は多分贅沢になってしまったんだと思う。何様?(笑)

 念の為。決してSwitchのボタンの押す感触が悪い訳じゃない。ちゃんと反発があるし。まああと、子供さんの指に最適化されている感じがありますね。大人の方がこの小ささに合わせてください、子供さんの為にという任天堂さんのメッセージなのでしょう。

 おわり。

ごろごろしている休日。

 今週、なんか仕事が忙しかった。
 土日に特に予定もなく。
 今日は寝っ転がってスマホゲームをしていたら1日が終わりました。

 ある意味、最高の休日でしたが、まあ何もやっていないので心の充実感は皆無で、乾いた感じです。

 今日の写真は夜8時ごろ近所のスーパーに買い物に行った途中に撮ったもの。

 この星の写真とかちょっと整えてTwitterに上げようと思いましたが、ちょっと手ブレしているんですよね。星をもうちょっと引き立てるように現像しようとすると余計手ブレが目立ってしまって。ボツとなりました。撮り直す為にもう一度寒い外に出る気概もなく。

 はい、今日はそんな日です。

 そろそろ自動車の運転免許証の更新に行かなきゃいけませんが、2月の末まででまだ余裕があるし、明日雨予報だし、行かないかなぁ。

 かなり緩んでいる現在です。あ、カメラの掃除しよう。

 おわり。

今年京都雪多くない?

 今日、仕事が終わって17時に帰る時、吹雪いた。

 一瞬で道路に雪が積もり、ロードバイクを途中押した。

 そしていつもの京都御苑へ。

 やばいー。

 雪サイコーって思いながら写真を撮りまくり。

 しかし雪はロードバイクどっかに置いて電車で帰ろうかなレベル。ちょっと怖い。

 このまま降り続いて欲しい気持ちと、でも帰れなくなるから止んでという気持ちを抱きながら、とりあえず写真は撮る。

  30分くらいしたら止みました。よかった。ロードバイクで帰れる。自転車だと30分だけど電車とバスなら50分かかるから。

 そんな雑念を持って撮影していたからか、途中でカメラの撮影設定が変になっていて、ほとんどの写真がダメダメ。なんてこった。

 まあ、そういうもんですね。

 おわり。

写真の編集

 朝。京都御苑です。全体的に霧がかかっているように見えます。

 でも実は撮った写真そのものは下の画像です。実際霧のようなものがあるのは上の方だけ。

 この写真を見た時、木の上の方の太陽の光が差し込んできている辺りが木から出る水蒸気か何かでいい感じに煙っていました。他は正直ごちゃごちゃしてよくわからない感じなので、下半分はバッサリカットしました。

 そして変に色が乗っているよりも、モノトーンに近い方が少し幻想的になって面白いので、少し彩度を落としました。

 去年の秋くらいにネットニュースで読んだ記事ですが。ある人がまだ紅葉していない山の写真の彩度を思いっきり上げて、真っ赤に紅葉したウソ写真をSNSに投稿し、それを見てその場所に足を運んだ人が「騙された!」となった。みたいなのを読みました。写真を編集・現像する人は誰でも何かしらの線引きをして人目に触れる場所に投稿すると思います。わたしは自分の写真を見た方が不利益を被る可能性があるものは絶対にあげないようにはしています。可能性があると分かっているということは明確に悪意があるということですので。なので、もしわたしがパソコン上で本当の見頃はまだまだ先なのに真っ赤に紅葉している写真を作ってしまったとしても、それをSNS上げることはありません。

 話がそれました。

 あと、霧の雰囲気を強調するために、シャープさを少し落としわざとぼんやりとした感じに。写真というとくっきりはっきり写る方がいいイメージありますが、わたしは少しぼんやりさせる方が好きです。ギラギラしたダイヤモンドの輝きより真珠のうっすらぼんやりフワッと光っている感じが好きなので。この辺りは荘子の影響ですね。

 おわり。

 

 

 

撮らせる意思

陽が沈んですぐの京都御苑の森。

  先日ポートレート撮影をしましたと書きましたが、実のところポートレート撮影が何なのかよく分かっていませんでした。でも今Googleでこの単語を検索して一つの大きなヒントを得ました。

 『被写体の意識が撮らせる意志を持っている』

 という、とても分かりやすい一言と巡り合いました。

 なるほど!

 でもキノコに撮らせる意志が存在するのかどうかと言う途轍もない問題が出てきてしましました。

 わたしは全ての物事において『ない』とは断言しない派ですので。

 

写真が持つ物語性

 今日は満月。月の写真を撮りました。肉眼で見ると明るく白く美しく光って見えますが、写真で少し暗く写すと月面のクレーターが生々しく見えます。

 こう写真に写すことができると、わたしは京都在住ですが、大阪や名古屋より月の方が近くに感じている今日この頃です。コロナ禍で遠方への行動が制限されがちな今は特に。

 月の地名に疎いのですが、何かのネット情報を参考にこの写真の特徴的な地形なんかのお名前を調べるてみようかなと、勝手に自分への宿題にしてみようと思います。

 右下あたりの大きなクレーターは分かりやすいので今ネットで調べました。

『ティコ』直径85キロメートル。名前はデンマーク貴族の天文学者、『ティコ・ブラーエ』(1550年くらいから1600年くらいの人。)に由来するとのこと。

 ウィキペディアで読んできるのですが、この人物めちゃくちゃ面白そうです。

 月が運んでくれた新しい出会いです。

 しかし、谷やら岬やら海やら、とにかく月に名前が多い。古代から月を見て研究してきた方々のいろんな思いが凝縮されている様。そのような事柄には引力がありますね。

 おわり。

ポートレートと即興劇。

今日は京都御苑で本の感想を交換したり、ポートレートを撮ったり。

 切り株の中にまだ雪が残っていました。

 去年ある劇団さんのスタッフでご一緒させていただいたせいなさん。

 せいなさんは旅がお好きということで、『旅』の雰囲気がちょっとでも感じられる写真を撮影しました。

 もうちょっとわたしが紡がれていく写真が持つ物語性というものを感じとれたらなと思いました。
 そうすればもっと写真と写真の間に何かしらの筋を通すことができるような気が。

 どんどん精進あるのみです。


 あとカメラ機材の性能(手ぶれ補正とか)を過信し過ぎたとかなり反省しています。とりあえず撮影する時重いリュックは下そう。そうしないと脇が締められなくてブレる。

 しかし、即興劇を作っていっているような楽しい時間でした。

 ではまた。