今日は新田辺のワンダーラーさんで中高生中心のステージ『明猿華』を観ました。
いつもステージ撮影しながら観ることが多いのですが、今回は観劇のみ。
しっかり椅子に座って、パンフレットに記載されている登場人物や人間関係を軽く頭に入れて開演に備えます。
いろんな考え方があると思いますが、パンフレットに記載されていることは覚えておいた方がスムーズに作品の世界に入れますので、読み込む派です。
作品は素晴らしい出来でした。
今日は新田辺のワンダーラーさんで中高生中心のステージ『明猿華』を観ました。
いつもステージ撮影しながら観ることが多いのですが、今回は観劇のみ。
しっかり椅子に座って、パンフレットに記載されている登場人物や人間関係を軽く頭に入れて開演に備えます。
いろんな考え方があると思いますが、パンフレットに記載されていることは覚えておいた方がスムーズに作品の世界に入れますので、読み込む派です。
作品は素晴らしい出来でした。
舞台写真撮影時に意識していること。
撮影するシーンが持つ意味を大切にする。
そのシーンが持つ意味を無視して、単に何となくカッコいい写真を撮ることができる。
しかしそれでは意味もなければ価値もない
舞台撮影を依頼される理由は、ステージ作品を写真という形式で『保存』や『記録』して欲しいという理由だろう。
その写真の絵がステージの『シーン』として成立していなかったら、そのステージを撮影したことにならない。当たり前の話だ。
芝居の面白さとは何だろう?
面白さの反対は?面白くない、それともつまらない?この二つも大きく違う気がするし、そうでもない気もする。
つまらないものはすぐに分かる。連続性がない、積み重ねがない、脚本の解釈が出演者の解釈がバラバラでそれぞれの演技が噛み合っていない、などなど。
でも、芝居づくりの手順が正当で破綻がなければ、自分の好きか嫌いかの好みに関わらず観ていられる。
自分の好みでないものでも、その価値や目が離せない理由を知るために、観続けて、やがて好きになる、気がする。
脚本・演出の高間さんから宣伝LINEが送られてきて内容を読んだ時『え?』と思った。会場が二つ(徒歩5分くらいの距離)。ZOOM内の映像世界の分も入れたら3つ。これ全部観たら面白いよ、と。料金は一会場だけで観劇する場合は2000円。2会場分のセット券は3000円。ZOOM世界の分は990円。しかもそれぞれ会場ワンドリンク制で600円×2別に必要。
あまり意味が分からないままセット券を購入。
自分にとって新しいものの予感だけはあったので。
最近、100年後にはどんな芝居が上演されているだろうと想像します。そのカケラ、種みたいなものに触れておきたいという気持ちが強いです。既存の作品の模倣であったり、作品の精度を高めたものに興味が薄れています。精度はある程度脳内で修正可能です。この部分の演出や演技がもっと精度高くドラマチックに流れたなら自分はこんな風に感動しただろうなと思い出補正できます。
でも新しいものは、そうであるかないか、どちらかでしかないので。
そしてここからが本題なのですが。
一つ芝居観て、他の場所に観客である自分が移動してまた観劇して、作品の表と裏が合わさって一つの作品と脳が認識する体験はとても面白かったです。
二行で終わりました。『どうしてたったそれだけのことが、わざわざ他の人に文字にしてまで教えたくなるのか』すみません、まだはっきりと言葉にすることができないのですが。
でも、自分の身体を劇場と劇場の間を移動させて何かがつながっている作品を観るという体験は代替が効かないものです。素晴らしい初体験でした。ありがとうございました。
いやー、大変でした。今回、宇河玲史(55歳)役をやりました、なべたです。観に来て頂いた方(本当にありがとうございます!)はご存知の通り、上演時間2時間10分の内、15分位しか出演していないのですが、主人公兄弟のお父さんとお母さんを轢き逃げしてしまい(劇中のお話ですから、僕は、大丈夫です!)ました。
そして、なんてこった。8年後、自分の娘が、轢き逃げしてしまった弟さんの方を好いてしまっている(この設定は劇中で語られますが、玲史は知らなかった感じで演じていました。)じゃありませんか・・・。
そして僕の方は、轢き逃げして、まあ、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたんでしょう、もしくは罰が当たったのでしょう。くも膜下出血で倒れて、脳内に脳脊髄液がたまる水頭症になって4ヶ月ほど意識不明でした。
そして、手術が成功し、九死に一生を得て目を覚ましたら、娘から『お父さんが轢き逃げした息子さんたちが会ってお話したいって』(このシーンはありませんでした。あったら、大変重たいしんどい稽古が必要だったでしょう。一応、自分の心の中では自分で脚本作ってイメトレしていました。)と言われる人生。とんでもない設定考えるなぁ、『空降る飴玉社』の加藤さんは。ちょっと団体名のかわいさにダマされた!と思いました。
そして、ラストシーン。轢き逃げしたご両親の息子さん達と、僕と娘は、僕が入院している病室で会いました。
きつかった。殺される・・という恐怖心と、あの時救護義務を果たさなかった、逃げてしまった自分に対する怒り自己嫌悪と、自分の周りの方々への懺悔の気持ちと、そういう感情が自分の中で引っ張り合っていて、短い時間ですが、消耗しました。
今までで自分的には一番の、頭下げての謝罪を行いました。謝罪の稽古はたくさんしたので、ちょっと人としてのレベルが一つ上がった、かな。
でも、実生活では、仕事でもなんでも、最初、なんかやっちまったら、最初に謝罪した方が絶対にいいです。隠そうとしたり、保身は相手に秒で伝わりますから。即謝罪が、相手の為にも、自分の為にもなるし、逆に信用が高まり逆に物事がスムーズに進むことだってある。
そして、謝罪を受けた主人公の辰一の息を吐き出す音が静かに病室に響、終演。
足を運んで頂いた皆さま、このブログで少しでも今回の舞台の雰囲気を感じてくださった皆さま、ありがとうございました。今後とも、今回僕が出演させて頂いた『空降る飴玉社』さん、脚本・演出の『加藤薫』さんをよろしくお願い致します。
今日は大阪のあべのハルカス近くのOVAL THEATER へ劇団冬の甲子園さんの『まだまだ先の春の話』を観に行ってきました。
『日本一長くちゅーできるお店』とかいかがわしい看板が並ぶ裏路地を抜けて劇場へ到着。ちなみに、上の地図のパン屋さんのとこを曲がって入ったらいかがわしい道通らなくて済みますのでご安心ください。僕はもう結婚しているので無理ですが、独身の方は一度突入してどんなお店かぜひ教えて欲しいと思いました。ただのセクシー系キャバクラだと思いますけど。
さて、作品は演技・演出・スタッフワーク繊細で熱量も高く非常に見応えがある舞台でした。
今回の主人公は学生の時に新人作家の登竜門的賞を獲った小説家のお話。この小説家(演者:宮本秀哲さん)の内面にはもう一人の自分(演者:イトヲさん)がいました。
小説家人生の袋小路、どん詰まり、どうしようもない状況になって書けなくなってしまった小説家がもう一人の自分に書けっ!て言われて、華々しい時間から転落してくまでの自伝的小説物語を苦しさに呻き声を上げながら執筆していきます。
その後にもしも小説家にならず普通の会社員になっていたら(現実の不幸がちょっと幸せな方に転んだ架空のお話)というカウンター的な物語が配置されていて。
絶望的な状況での幸せなifの世界は、精神の崩壊か自死を予感させます。
チラシ裏面の、絶望の先に何をみるのか、とありますが。
僕自身が最後に残ったと思ったのは、作家としての覚悟。物書きの本能。書き続けることでした。そして、タイトルからこの方は諦めずに書き続けたと思いました。そう、作中では彼がその後どうなったか語られませんが、タイトルに救われました。
あと、来週共演します、イトヲさんがやっぱり素晴らしかったです。とっても繊細な演技をされる方です。ぜひ京都の方にも観て頂きたい俳優さんですので、『タツノオトシゴが宇宙を泳ぐ時』こちらね、東山青少年活動センター、ぜひ足を運んでください。
昨日は仕事から帰宅途中ロードバイクの前輪がパンク。
1時間程自転車を押しながら小雨降る暗い小道を寂しさ全開で帰ることに。
普段なら、ついてないな…って感じですが。来週末に出演する舞台では『雨が降っている夜』は大切なシチュエーションでして。
雨の夜を満喫しながら、自分の中で芝居の返し稽古をしながら帰る充実した時間となりました。
幸も不幸も芸の肥やしにしたがるのは、ある程度は仕方がない。
でも、それが行き過ぎると、不幸をちゃんと嘆くことが出来なくなりそうで、不幸な環境に置かれた時の自分の心の動きを観察しよろこぶようなことがあれば、これはたぶん本当の不幸に間違いないと思いますので、気をつけたいとも思います。
昨日と今日は、二日に分けて最初から最後まで芝居を通してやるお稽古でした。出演者の皆さま、スタッフの皆様方、おつかれさまでした。
舞台の上にだけ時々現れる世界は、やっぱりあると思います。
私が高校生の時の話ですが。
学校の音楽の授業の一環で、全国大会に出場する他校の女の子の歌を少し大きめのホールへ観にいく機会がありました。
その時、その子は学校の制服を着て歌っていたのですが。
なぜか気を抜くと純白のドレスを着ているように見える。
おい、この人は学校の制服着てるぞ。幻覚見てないで、しっかりしろ。と言い聞かせたら、制服に戻るんですが、歌を聞いているとまだドレス姿になる。
その後、友達になんかドレス見えなかった?と聞いても「は?」って感じで。当たり前ですが。
この例はちょっと極端かもしれませんが。
生の舞台にはやっぱりその時だけ現れる得体の知れない何かがあって、それをみんな何かしら感じ取るから、わざわざたくさんの人がテレビやパソコンの画面でみるだけでなく、その場に足を運ぶのだと思います。
がんばります。
本日も、晴天で、花粉もなかなかで、東山区の青少年活動センターで『タツノオトシゴが宇宙を泳ぐ時』のお稽古でした。
今日も、めっちゃ体動かしました。こんな乾燥して寒い日々ですが、めっちゃ汗でます。
しかし、演劇の稽古をしている時のブログは書きにくいですね。今自分が思ったり、考えたりしていることを今の段階でかいちゃっていいの?とか判断が難しいので、つい当たり障りの少ないないことがらの周辺をぐるぐるまわるようなことしか書けない。
じゃあ、書かなきゃいいじゃんって思いますが、内側にはもんもんもんもんいろんなもんが渦巻いているので、出したい衝動だけはあるもんですから、もんもんです。
こんかいの『タツノオトシゴが宇宙を泳ぐ時』も、ぐるぐるまわってもんもんもんもんしている作品かもしれません。でもちょっとずつ前進していくというか、中心に向かっていくというか。
でも、本番に向かって、ちょっとずつ、核心に迫るようなことを遠回しに言っていけたらいいな。それは結局もやもやさせるだけかもしれませんが。
今日も実のないことを書いてしまいました。おやすみなさい。
新しいブログサイトが、カタチになってきました。長かった。長かったよ!こちらのサイト、WordPressでオリジナルテーマ作製して作っていっているのですが、一文字記入ミスしていてサイトの重大なエラーが発生している為表示できません!っていう状態になってしまって、その一文字を発見するのに1週間かかったり。そして見つけた時の天に拳を突き上げてしまえるような達成感を無駄に味わったり。
本当はさ、今稽古している星降る飴玉社さんの情報とか、ドーンと載せたりさ、いっぱいやりたかったんですけど、そうこうしているうちに、もう本番すぐそこだよ。もうちょっと、このサイトをタツノオトシゴ色に染めたいんだけど、ほら、芝居のことを考えなきゃならなくて、時間が無くなってきているんです。
今回、出演時間短いけど、けっこうけっこうな役で、次の稽古が待ち遠しい、そんな毎日です。