なんの変哲もない写真だ。京都の桂川。上野橋の上から五条大橋と西京極総合運動公園の方向を向いて撮影。
写真は後から色味を変えたり、強調したり、ぼかしたり、まあ色々できる。
そしてこの色はある日にわたしが実際に見た景色の雰囲気をかなり忠実に再現している。
昔から不思議に思っていることがある。わたしたちが持つ感覚。例えば甘いとか辛いとか酸っぱいとか。よくもまあこれだけたくさんの人がいて、大体同じ感想を持てるもんだなと。カレーの箱の甘口、中辛、辛口とか人の味覚がみんな揃っているから表示することができているのだろう。
色にしても、わたしが見えている『青』は他の人にはどんな『青』に見えているか非常に興味がある。味覚と同じで大体似ているのか、それとも個人差が激しいのか。
どうしてそんな疑問を持つかといえば、例えば『青色』を言葉で説明する時、例えば辞書を引けば「三原色の一つ。晴れた空の色。」などがある。数字のパラメーターで表現できたり、〇〇の色と言えても、わたしたちの脳が認識している感覚の共有はなかなか難しい。まあ、青色を見て清々しいや、爽やかとか、色に付随するイメージで味覚と同じで大体同じだろうとは思っていますが。
こんな風に感覚に関してかなり曖昧だなと思っていますが、写真に関して言えば、疑いつつも共有していると信じることが大切なのではと考えています。
わたしはこの写真を見て、ああ確かにそこにいたことがあるとしっかりはっきり思うことができる。そういう種類の感動を感じることができる。では他の人はこの写真を見てどう思うのか。
「ああ、どこにでもある普通の風景だね。この写真がどうかしたの?」
が普通だろう。旅行に行った方からとても楽しかったと喋りながら見せられる大部分の写真と同じで、自分がそこに居たか居なかったかで大きくその価値が変動する写真。
それはいい写真なのか?よくない写真なのか?
そんなことを考えていました。